「和を以て貴しとなす」の勘違い

Posted 1月 29th, 2016 by ゆうなパパ

 聖徳太子が作ったとされる十七条憲法の第一条、「和を以て貴しとなす」って習いましたし、意味を「和=和睦」だとされていますね。
 どうも怪しいです。

 偉い学者さんが長期間研究した結果なんでしょうけども。

 
 夏四月丙寅朔戊辰、皇太子親肇作憲法十七條。
 一曰、以和爲貴、無忤爲宗。人皆有黨。亦少達者。以是、或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦、諧於論事、則事理自通。何事不成。
 (Wikipediaより抜粋)

 
 冒頭が「以和爲貴、無忤爲宗」です。

 何か条文を書くとき、一番最初に書かれるのは最も重要なことですね。
 日本国憲法なら「天皇」についてです。

 「以和爲貴」は「和を貴とみなせ」という意味です。
 「無忤爲宗」は「宗に逆らうな」という意味です。

 問題は「和」が何で、「宗」が何かでしょう。

 大和国の憲法なんでしょうから、「」は「大和国」のことだと思います。
 「大韓民国」で「韓」と言ったら、韓国のことですね。

 「宗」は「おおもと、祖先」と「かしらだつ者、首位の者」といった意味があります。
 最初に書いてありますが、「皇太子」(聖徳太子)が書いているんですから、「皇宗」がぴったりきます。
 帝のことであり、歴代天皇のことでもあります。

 つまり「大和を高貴なものとみなし、皇宗に逆らってはいけない」という意味になります。
 第一条に相応しい、国と帝の定義で、日本国憲法の第一条とも付合します。

 以下の文もありますが、ここで「或不順君父」が気になります。
 「」は「我が君」「大君」の「君」で、皇太子ですから、帝は「君父:ちちぎみ」なわけです。

 「或不順君父。乍違于隣里」の部分、「帝に従わない者や、また大和国に従わない周辺国」とも考えられます。

 平和でも和睦でもなく、大和こそ日本列島を統べるものだと定義しているんでしょう。
 最終的にはほぼ全域を支配する大和朝廷ですが、最初は豪族のひとつだったわけです。
 勢力を伸ばし、南の「熊襲」(くまそ)や東(北)の「蝦夷」(えみし)から領土を奪ってきました。

 
 「和」を「和議」だなどと勘違いしている人もいます。
 ありえません。

 「大君」や「主上」と呼ばれる「帝」が絶対君主として存在している時代です。
 その意のままに朝廷を動かしますから、話合って決めるなんてありえないわけです。

 「遠流」(おんる)になった人の多くは帝に逆らった人たちで、今の時代の罪人とはちょっと違います。
 「あいつ、目つきが気に入らない
 そんな理由で「遠流」になった人もいたくらいですから、どれだけの絶対君主か分かることでしょう。

 
 聖徳太子は「推古天皇」の皇太子ですが、父親は「用明天皇」で、推古天皇は用明天皇が崩御sれ皇太后となった人でした。
 推古天皇は日本初の女帝、アジアでも初の女性君主なんだそうです。
 また天皇という名称を最初に使った天皇とされています。

 皇室典範では「男子に限る」皇位継承ですが、歴代天皇も同じです。
 女帝は間を埋めているだけなんです。

 女帝だからこそ「君父」としての「用明天皇」が重要なのではないかと思います。
 もっとも「君=推古天皇」「父=用明天皇」とも理解できますが。

 
 拙作「俺と巫女と和の神」では、これをファンタジーにしています。

 大和の「和」というのが、そもそも「YaWa」で、その国が「大和国」なわけです。
 「YHWH」を日本ではヤハウェと読むことが多いもので、これは「主(アドナイ)・神」のことですが、ヘブライ語では母音表記がされていないため、本当の読み方は分かりません。
 ならば「YaWa」と読んだかもしれないわけで。

 日ユ同祖論なんてのもありますが、エジプトから逃れたユダヤの一派が東へ進み、日本に神の国すなわち「和の国」を作ったということで・・・


コメントをどうぞ

(ご注意:全角文字がない投稿はできません)

計算式を完成させてね 必須 Time limit is exhausted. Please reload the CAPTCHA.